『#真相をお話しします』を観て感じた、ネット社会で思うこと【ネタバレあり】

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Sana

こんにちは、Sanaです♪
今日は、映画『#真相をお話しします』を観て感じた、ネット社会で思うことについて綴ります。

Monica先輩

ネタバレを含む素直な感想になりますので、内容を知りたくない方はこの先は読まないようご注意くださいね。

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『#真相をお話しします』を観て感じた、ネット社会で思うこと

個人情報を勝手に晒すという行為は、比べることはできないが、人を殺すことと同じくらい重大で、許されないことである。

SNSやインターネットの世界には、誰もが世界中とつながれるという画期的な一面がある。一方で、それゆえの危険も存在する。

ちょもらんまの母親は、子どもであるちょもらんまたちの生活すべてをネットで発信し、コンテンツとして利用していた。本人たちの知らないところで。お金のために。
さらにネットが原因で大切な友人を亡くし、ちょもらんまたちは計り知れない怒りと憎しみ、そしてどうしていいかわからない虚無感を抱くことになる。観ていて胸が締めつけられ、悲しく、膝から崩れ落ちるような思いがした。

これは映画の中の親子の問題だけではない。ネット上では、悪意ある人間が個人情報をいくらでも悪用できる。多くの人は知らないだけで、自分でも気づかないうちに、見えない場所で情報が晒され、利用されている。彼らに目的があるとはいえ、許し難い現実である。誰を責めればいいのかわからない――つまり、真の加害者は自らの手を汚すことなく、簡単に弱みを握ることができて、罪を犯せるのだ。

けれども、今の私たちは、ほとんどあらゆることにインターネットを使わずに生活することができない。だから、ネット上で何かが起きても、対処できず泣き寝入りするしかないことが多い。この映画の中では母親が犯人というのは明かされていたけれど、ルーや他にどこまでの人が共犯者なのかは不明のままだ。弱者の声はかき消されてしまう。改めて、Mrs. GREEN APPLE「天国」の歌詞「あなたのことが 許せない」が、より深く心に刺さった。

「お前も自分を晒すか、画面越しに映る人を殺すか、選べ。」
この最後の言葉は、今インターネットを使うすべての人が知っておくべき問いかけだと感じた。映画の中では多くの人が「自分とは関係ないから」と他人を犠牲にする方を選んでいた。この究極の選択肢を迫られて、自分の個人情報を晒すことの恐ろしさに、ようやく気づいたのだろう。

結局、人はお金や自分の欲求のためなら何でもする。自分の目的のためなら手段を選ばない。映画から感じるメッセージは、私もずっと感じていたことだ。
悲しいけれど、それが現実だ。お金や目的が大切なのは理解している。けれども、ちょもらんまの親や共犯者のように、ここまでしてしまうのか――そう思うと、どうすることもできず、ただ、虚しさを噛みしめることしかできない。

ネットが使えて当たり前の世の中になったいま、どう付き合っていけば良いのかを、改めて考えさせられる。

P.S. どこで二宮さんの声が?

映画を見終わった後、トイレで知らない女性に話しかけられた。

「『#真相をお話しします』見ました?最後のエンディングで声の出演に二宮くんの名前があったけど、どこで出演があったかわかりましたか?」

私も気になって思い出してみたけれど、わからない。

「たぶんもう一回見てみてねというメッセージも込められてるのかもしれませんね」

そんな会話を交わしその場を後にした。

このブログを書き終わって気になって調べてみることに。

借金取りからの電話のシーンだったもよう。……なるほど!!

怖いけれどもう一回見たくなる、こんなラストにも感動をもらった。

以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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